子供でいることを許されたかっただけ
こんにちは、ブログ開設したのに翌日には存在を忘れたらいとみぃです。
私はひとつ気づきました。
私は親に「子供でいること」を許されたかったのだと。
私は5歳の時に母親をガンで亡くし、それから姉と父と3人暮らしでした。母が亡くなったときの事はよく覚えています。
亡くなるいくらか前に「お母さんは死なないよね?」そんなニュアンスの事を口走った記憶があります。こうすると、蘇るらしいなんてそんな嘘を信じたなんてこともありました。実践したかどうか覚えてませんがね。
叔父に外に遊びに行こうと連れ出され、戻ったらみんな泣いていて、静かに眠る母親がいて、その手は温かかった。私は一切泣かなかった。
葬式で、棺桶に入る母を一人で見つめ手を搔きむしり、真白い棺桶に血痕が付いたことで祖父に叩かれて初めて泣いたものです。
その後の生活は最悪だった。
親の中で、ガキみたいな行動が許されるのは小学低学年くらいまでみたいです。
「そんなの小学生でもできる」「お前は幼稚園児にも及ばない」そんな罵倒をよく聞いていました。
当時7歳だった私はガキだから守るべき存在だった。当時12歳だった姉は暴力を与えてもいい存在だった。
初めて虐待現場を目にしたあの時、殺されると本気で思いました。姉が死ぬと、そう思った。守られる私は姉に嫌われ、母が亡くなる頃には口を利かなくなってました。でも、私は元々姉に懐いていました。
部屋に響く泣き叫ぶ声、頭を床に叩きつけられるごつんという鈍い音。
大量に溢れる涙と、止まらない震えと、心を支配した恐怖。
祖母に助けを求めなきゃと電話しようとしたとき、連絡したら次は自分の番だと確信した。
結局電話することは出来なかったが、祖母はいつものように迎えに来てくれた。
助けに来ることは、今回が初めてではなかったのだ。
泣きじゃくる私を抱えた父の腕は、恐怖でしかなかった。
それから私は、ほかの子供と比べてわがままを言わなかった。心配されるくらいに。ただ、愛に飢え始めてはいた。
頭がよくて、明るくて、しっかり者。それがこの私。いじめられてた事なんてだれも知らなかった。
なんとなく場の空気を察して余計なことは言わなかった。親の顔を窺い続けた。欲しいものも言ったらなにされるか分からないと思った。
もちろん私の元にサンタさんは来なかったし、誕生日も親は祝ってなどくれなかった。自己申告して幼馴染に来てもらって誕生日パーティとかした。
これだから子供は。
お前らがいるから俺は働いてこうして面倒見なきゃならん。
お前らがさっさと家を出てくれれば。
そんなことをよく言われた。
社会人になった瞬間、子供でいることは許されなかった。
会社をやめ、まだ若いからとかまだ子供だろと言われる度に複雑だった。
18歳で社会人になった時点で大人とされていたから。
結婚して母が生んで血がつながっている子供だから、親の義務として育てなければならないという考えと、血のつながった私たちの大切な子供だから守らなければならないという考え。前者で育てられるのは子供心には苦痛でしかない。
私は義務がなければとでもいうように、存在が邪魔だといわれ続けた。
19の時、親と喧嘩になり溜息まじりにガキだといわれカチンときた。
ガキで何が悪いんだと。
まだ私は子供だ。大人になったとは思えていない。なんで大人になれてないことを呆れられなきゃいけないのかと。
親に義務だけで育てられ、自分の子供ということを否定され、挙句19にもなって大人になれてない自分を呆れられ、もう怒り狂うことしかできなかった。
私はただ、まだ子供でいることを、許されたかった。
ただそれだけなのだ。